「それ、気にしすぎじゃない?」

私はこの言葉を言われるのが苦手。確かに他の人と比較するとそうなってしまうのかもしれないけど、心に引っかかってしまうのも事実。
「気にしすぎ」と言われるたびに、まるで自分の考え方が間違っていると言われているように感じてしまう。
相手からしたら励ましの意味合いを持たせた言葉のつもりかもしれない。でもそういう風にとらえるのは自分にとっては難しく、簡単に切り替えられないのも本音だった。
この言葉がどうしてこんなに気になるのか。そして、自分の考え方についても改めて振り返ってみようと思う。
ある日、仕事への取り組みの考え方で会社の同僚とのすれ違いがあった。
「それ気にしすぎでしょ?そんなことまでする必要ないよ!」そんな言葉が、突然私に投げかけられた。
あまりいい気分にはならない。なぜなら詳細も把握されずに否定されたのだから。
私は結構細かいところまで想定して組み立てたいタイプ。悪い状況の想定をして対策も一緒に考えるので、対処できることも多い。
起こらなければ必要ない対策まで、つい考えてしまう。こんな自分の考え方は、どこから来ているのだろう?
思い返してみれば私は幼少期から大人の顔色を伺うことをしていた。
人の表情のちょっとした変化にも敏感で「怒っているのかな?」「迷惑だったのかな?」と考え込んでしまうことも。
そんな自分が色々と考え込んでしまう理由は何だろう。
失敗が怖いから?
自分の評価に関係するから?
完璧に仕事をこなしたいから?
全て間違いではないと思うけど、根っこにある部分は次の考え方であると落ち着いた。

「自分が一番ではなく、全体が良くなるのが大切であり、幸せにつながる」
正直この考え方って損している部分が多くあると思う。自分だけではなく、全体を良くしようとする場合には自分が割を食う場面も多くあるからだ。
もちろん気にしすぎなところがあるのかもしれない。でもそれって周囲のことを考え、ちゃんと向き合っていたからこその行動だったのではないかと思うようになった。それって実は強さでもあるのかもしれない。
これを読んだあなたも「気にしすぎ」と言われて、ちょっとだけ心が痛んできた経験があるのかもしれない。
でも、それはあなた自身が周囲をしっかりと見渡して感じ、考えられる人である証拠なのかもしれない。
私はそんなあなたも素敵だと思うよ。
「気にしすぎじゃない?」今まで言われて嫌なイメージがついていた言葉かもしれないけど、もしかしたらそんな悪い言葉じゃないのかもしれない。
言われてしまうのに理由はあるかもしれないけど、そんな行動をしているあなたにもきっとちゃんとした理由があるはず。
自分を責めるのではなく、少しずつ、自分を認めてあげよう。

「あなたが気にすることには、きっと意味がある」
そんなふうにそっと言ってもらえたら、私はきっと少しだけ呼吸が楽になる。
あなたはどう感じましたか?